ニュー デンバー

mosshaven2011-06-23




目覚めもすっきり、下に下りていったら、大分古い、 
でも まず ウエイトレスが とてもフォーマル、

 
コーヒーカップも 上等、というか私の好み、



朝食のお皿なのに ちゃんと温めてある、、



さて なごりおしいけれど 出発、
今回の 旅の ポイントは ロッキー山脈と
ニューデンバー



ネルソン、シルバートン、スローカン、その他を含めて この付近、
戦時中 日系の人々が 生活のすべてをあきらめて これらの
見知らぬ 土地の収容所へと移された。  ほとんどの日系カナデイアンは
フィシャーマン、和歌山の方が多かったらしい。ので 住み慣れた海から
山奥へ移り住む事もきっと 違和感があったに違いない。






以前 日系の教会に出席していたころ、よく スローカンや ニューデンバー
言う名を耳にしていたし 彼が そのころ ニューデンバーに住んでいた日本人が
買い物などに来たところが スローカン、と 説明してくれていたので、
さぞ 大きな町、いろいろな 日系の足跡が、、、


と ちょっと 特別の期待があった。 




のに、 エ? これだけ、 どこかに ダウンタウンがあるんじゃ?
絶対 ここだけってことはない、車で 川のほとりをぐるっと回って 3分ほどで
おしまい、人も車もない、、、、


じゃあの (一軒しかない)カフェーに入って この土地のことや 昔のことなど
聞いてみよう、   殺風景で がらんとして、、、一人で働いている オーナー
らしき中国系の女性、いそがしそう、、、
ちょうど はいってきた 中年夫婦、見たことのない顔、とばかりに こっちへ来て
すわらないか?   


今度こそ 何か。、と期待していたのに、出てくる話は ファミリーのことばかり、
コチラに長く住んでいないそうで 日系人のことなど しらなさそう。 
昔は ここに ホテルが10けんもあった、が 今は 人口300人、ということぐらいが
わかっただけ。 


期待していなかったのに おいしかった シナモンバン、


わずか50年ほどで 変われば変わるもの、 日本を感じさせる家も庭もみあたらない。

途中の シルバートン(昔 銀の採掘があった)、 
大分以前からの建物らしく 見えるけれど、、



30分ほどで ついた ニューデンバー、ここには 日系人がボランテイヤで 作った
庭園がある。  (失望が 又 期待に、、、)



天気の加減か 位置関係か 湖のほとりの 庭園がある場所は 視界が開けていて
明るい。  



静かな町に入るなり、 迷うことなく 入り口近くに駐車、なんとなく
待ちかねていたものに出会ったような わくわく感、日系のルーツ、そして 
大好きな 庭園を みられるのだから、、、

入り口そばに立て替えてある コンポーストの いれものや 道具の置き方にさえ
丁寧な日本人の心を見た思い、がしたのだけれど、、、実際お会いした ガーデニング
ボランテイヤの方は〔その日は) 白人、



彼女の連れていた ワンちゃん、ひとなつっこそうなので 一緒に写真を、と呼んだら
ちゃんとやってきたのは いいけれど、 


彼が こっちをむかそうと 声をかけたら
今度は そっちのほうにとんでいっちゃった。

ところどころに ベンチがおいてある。  そこにかけると 立っていたときとは
違う 視界が開けてくる。  そして 園内の道は 常に 緩やかにカーブしているから
同じスペースでも いろいろな景色や変化が見られる。 とても素晴らしい庭園。


でも この庭園は 1990年に 100% ボランテイヤによる 様々なファンドレイジングで
完成させられた、ということ。   このスローカン湖のほとりで 日本庭園を散策しながら、
波音を聞きながら はるか日本を想っていた 日系の人々、とつい想像したくなるのだけれど、



1942年ごろ この強制移動があったころは おそらくこの辺は 草が生い茂って
波打ち際にも おりられなかったかもしれないし、、 


それどころか なれない 不自由な生活を生きるだけで精一杯であったのかも、
などと 勝手な想像をしてしまったけれど、

こんな美しい庭園が その当時 完成していたら どんなに なぐさめになったことか、
でも そんなことは勿論ありえないわけで、
こんな現代だからこそ、 寄付を集めることもできるし、日本庭園、と 堂々と銘打つ
こともできるわけで、この日本庭園を 心より 慰みとできる 日系人は こちらでも
少なく、特に 収容所時代から続けて住んでいる日本人は 本当に数えるほど、と
後でわかった。  


この後 日系ヘリテージ(日系遺産)の 建物がある、ということで
そちらに回ったので、又ながくなりそう、だから 
つづきは、明日ということで、、