島に到着

mosshaven2013-05-24



2日目、といいたいところだけれど、
もちろん 日がえり、 でも たくさん書くことがあるので
つい、、長くなりました。


まず島の中央にある 管理人のお家へ、
宣伝を全くしていないのに、毎年 口伝で増えて、
今年は、土日の2日間で 1500人ほどの 訪れ、


お天気は 最高、だれもが この美しい自然、且つ 見事な 庭園を
心から 楽しんでいるように見える。


町長さんに紹介された 管理人のご夫妻は この島に 25年も
お住まい(この広い島に 二人だけ) 勿論 時折 近くのトフィノの
ガーデナーなども 雇っているそうだけれど、島全体は 自然を残し、
でも この 中心部の広い庭園は 雑草ひとつないし、珍しい木々なども
配置など 見事にまとめあげている。


お会いするなり、とても 大歓迎してくださって、
Japanese Village 跡(といっても 今は 何も残ってはいない)の近辺を
案内して下さることに、


半世紀以上前の 日本からの移住者達への 彼女の愛は 私達 日本人にも
到底及ばないほどの 熱い思いと愛情とが感じられる。
元 この辺りにあったとされる日本人村(?)の付近(現在は 大樹に
囲まれた森林)を 散策して 当時に思いをはせ 想像し、ごみや落ち葉を掃く時も
そっと 先人の残したであろう もろもろの(思いもこめて)すべてが 少しでも
変わらぬ様にと 静かに 上澄みだけののぞく、という作業、

当時 日本人が植えたと思われる 石楠花、80年近くたっているから
見事な 大株、



あるときは 海鳴りや 風のあいまに ジット耳を済ませれば 彼らの 思いや
語り伝えたかったであろう たましいの響きが 聞こえてくるような気がする、、
いつか 大きな鉄製の風鈴のようなものをみつけて 森の 樹に下げて
風がもたらす 彼らの ささやきや つぶやき 或いは もっと大きな心の叫びを
うけとめたい、、、などと なかなかの詩人、



この小道は 当時 メインロードだったにちがいない、落ち葉しかないのに
踏むと弾力がある、このあたりが 家並みの最後、ここから 海辺に下ると
今は 藪だけれど、ほら 太い板が 並んでいるでしょ、 ボートをつないでおいた、
に違いない、 注意深く見ながら歩いているので かけた陶器、とか お鍋
等見つけた時は 土を払って 付近にそっとおいておく、‥等々、、彼女のお話は延延と、



途中で偶然お会いした日本の方も同行、
日本人なら 興味を持って当然、でも 説明を伺っている最中、
通りかかった  あまりに多くの ハイカーの方々から
日本人村の跡を探しているんだけれど この辺?と 聞かれたのには ちょっとびっくり、
自分の知らない 過去の人々のことであっても 戦前 こんなところに、と 
一日本人として 感慨深いものがある。



でも 全く関係のない他者に (まじめな)関心をもたれることは 日本人として
愕き、から転じて うれしいものがある。  人に関心をもつということは (興味では
なくって) やはり 大切なことかもしれない。


その後の予定も あるので まだまだ話したりないような 彼女に 感謝しつつも
ユーターン、



彼女 お住まいに戻って 大切に保管しておいた 子供の靴 を見せていただく。



たしかに スパイクまで付いた 上等の靴で 当時カナダにはこんなものは
なかった。  日本人のトローラー船でのフィッシングは とても能率がよくて
カナダのフィッシャャーマン達が 学びに来た、とか 彼女のお話は まだまだ、、


ところで、今日は 友人と集って夕飯、とかで つまんでゆく?と 見せてくれたのは
おいなりさん!  友人(カナダ人)が 作ってくれたそうだけれど、、
持っていた おにぎりも、おいしいおいしい、と 彼女 本当に日本がお好き、


詩人のごとく 夢一杯のお話が止まらない彼女だけれど、


この ガーデンの部分だけでも 本当に広い、のに 雑草は 見られないし、


このかつらの木も 天辺の枝を あちらこちらに まわして 大きな
アンブレラーのように してみたり、


こちらの 高い木々は メイ ツリー、(写真がない、、、)
海からの 風が 他の植物にあたらないように、4メートルの高さにそろえ(はしごで
切っていたそう)このあたりまで 冬は 海水で水浸しになるので
剪定や雑草、すべて山のようにある塊を 持ってきて(彼女流 防波堤)
など さまざまな工夫を 見せていただいて、普段は 誰とも会わず
こんな大きなことに とりくんでいることが信じられないほど(お話好き)


帰りは ご主人のボートで 送っていただいたので 30分あまりも
並ばなければならないところを、、おお助かり、



そして 夕飯は 3世の彼女の ご親戚のお家へ、、



車で 20分ほど、のウキュレット、


戦後 住んでいた トフィノへは 住むことも 地所を買うことも
日系人には 許されていず、この車で 20分ほどの 海辺の町に新たに住み始め
以後 50年以上 このお住まい。



彼女の 祖父母は 戦争前になくなって、その息子さんたち 3人も 
又 既に 亡くなられ、
今は そのパートナーの 奥様(彼女にとっては叔母)が3人、


広い一角を購入、お互いが近くにお住まい、其の中のひとつの道には
日本の彼らの姓が 名前についている。


お子さんも お二人(いとこ)が加わって 更に いろいろなお話しを
伺って、



御二人の Anti、95歳 なのに とてもしっかり、年号なども
きちんと把握、記憶は鮮明、お一人は 地区の歴史係として長くボランテイヤ、


それに このお料理、ボリュームも お味も とても 95歳とは思えません。


こちらで生まれた 日系の方々はカナダの生活が身についておられるのに、
つい 日本語で お喋りしてしまう Mosshaven
よほどしっかり こちらで日本語や 日本のことを学んで来られたに違いない。
そして 子供には 時代の背景もあって 英語だけを しっかり学ばせた、
という 厳しい人生、


健康で長生き、頭も冴えている その ひけつは?
空気のいい海辺で生活して 新鮮なお魚を食べてきたから、と
おっしゃるけれど、魚の油分などは たしかに 動物性油より優れている。



夕食時あたりから どうにも 寒気や頭痛、歯痛などで
すっかり 体調を崩してしまった Mosshaven, 
大先輩方の前で 疲れた顔など見せられない。
こんな感動の一日、笑顔で締めくくらなくては、、