今ごろ クリスマス?

 

写真がなかなか出ない、ので もたもたしてたら、

 

今度は ブログ原稿が消えてしまって、、、

やる気がなくなって、、、

 

最近はいつも言い訳から始まる このブログ、、、、

 

でも覚書、それから 脳の活性化(?)に 役立つ(と信じて、、)

 

さて いつもと変わらない🎄、

 

8人の孫たちもそれぞれにパートナーができ、お相手の家族とのつどいもあり、

住む場所も離れているから 我が家の直径ファミリー全員が集まることは

多分 もうなさそう。

 

今年は 娘👪とともに 二男の家で 彼らの次女のカップルも、それに長男夫妻と 彼等のママ(ドンの元妻)も参加、 昔は 彼と元妻、息子たちのスポーツ観戦で 出会っても おたがいに知らんぶり(❓)

でも もう御年ですから、、、過去も遠い昔の話。

 

 

今回は 私達がターキーを買って 二男の家でやいてもらうことにして、

 

娘達が 付け合わせ野菜料理、

 

たくさん残っているケーキやクッキーをデザートがわりに持参したけれど

お嫁さんの作った ラズベリークランブルもあったし、

なにより みなさん ワインやビールのほうが、、お好みのようす、

Mosshavenを除く全員が ビール、ワイン両方を持参、かなりの量が消費されるんですよ。 もうドンの 飲み量は最下位となりました。

マシュウ―がいちばんかしら? 娘もかなり飲んでいるし、、、彼女によれば休みのときだけ、というけれど 毎日の様に友人たちと会ってるから(当然飲んでいそう)単純には信じられないほど 空き瓶の山,親は心配の種が付きません。

 

子どもにとっては逆(親の心配)? ママは何もしないで、、とか夜のドライブはだめ、、、あれこれ 言われて 逆らえない私達。

 

気が付くと 御嫁さん、次女、そして娘、何時もキッチンで忙しそう、

そういえばいつも日系の人ばかり?

 

で、長男のワイフ、ドンの元妻、それに(この日は欠席)ドンの妹、シス、 彼ら白人がキッチンでてつだっているのをみたことがない。

 

勿論頼めば してくれる(にちがいない)でも 誰も頼まない。

日系の教会でも 何時も働いている人は日系がほとんどでしたね。

 

でもシスは 時たま 私達を呼んでくれるし、、長男のワイフは まったく料理をしない人だけれど、いろいろ買ってきたり、気前がいいところもある。

 

一概には言えないけれど、、やっぱり日系の人は きづかいがちがう。

などとおもってしまう 私は  いつも彼に それこそ偏見だ、といいかえされるんですけれどね。 

 

ようするに 人さまざま、、

 

大昔、次男の結婚式、前夜に シスと息子二人が我が家に泊まり、その日は 家族(顔合わせ)パーテイー、大人だけでも15,6人、何か色々お料理もしていて、、目が回りそう、、(その前にも 花嫁👪と会食、花嫁のウエデイングドレスを一緒に見に行ったり、ブーケの予約をしたり、、)

彼の元妻も もちろんご招待したら 彼女の側はだれもいないからか 誰も知らない友人を 連れて見えましたよ。

 

翌日は お式、 シスの家族たちと一緒に朝食、私だけ(多分食べる暇なし)教会に出かけ、礼拝堂の長いすに花を飾ったり、いろいろあいさつもあるし、 式の後は 又私だけ 即 ホテルの会場へ、行き、

段取りの確認をしたり、花をいけなおしたり(焦り気味でした)そこへ、彼女が ひとりで現れて、よかった! 手伝いに来てくれたの? やっぱりママだから、、と思ったら

偵察(?)にきただけでした。いまから思えば たのめばよかったのにMosshaven

 

でも彼女は クイーン(のつもりらしい、と だれかさんがいってる)だから そういう雑事は しないことになってるらしい。 離婚後 大学を卒業、英語教師として 韓国やエジプトにまで行っている 意志強固な女性。勿論 息子を訪ねて日本へ旅行、狭い住まいに泊まり込み、トロントでは 1ルームのコンドーなのに やはり訪ねて滞在、ドンの友人の歯医者さん宅にも、、、私達は その逆、人の家になかなか泊まれない。 ので 機会をいろいろ逃していることになりますね。 え?彼女、我が家にも滞在?さすがにそれはない。

 

などと くだらないことを 色々思い出す、

こんな歳になると 余り忙しく立ち働くこともなく,ことに こんな雨の冬は

コンピューターに向かうと、むかしばなしばかり、、

 

娘達が滞在している6日間は なにをしていたのか、、彼の ランチミーテイングに 娘達はもちろん 孫娘(次男の)も参加したり、、結構忙しく すごしていたけれど、さほど疲れることもなく わが家の年中行事、無事に終えました。 

うーなちゃんとの蜜月の日々、 こんなばあさんなのに、 朝 起きてくれば 喜んでこちらに来る。手を引っぱって(私を)ひきまわす。  必要とされている、って 面倒見てもらうより ラッキー、、、 こんなに 楽しくいっしょに過ごしたひと時でも、幼い彼女のメモリーには 刻まれることがない、と思うとちょっと残念、 最近 急にいろいろな言葉や会話がふえて 彼女の口から日本語が出てくると、なんだか不思議、  

 

そして 年末31日の夜は たまたま 友人とのラミーデイ。

7時に始まって 除夜の鐘ならぬ爆竹も聞き、1時ごろに解散、おおみそかにふさわしい(ような) 締めくくり、となりました。 

 

日本ではほとんどの方々が 忙しい暮れをやっと終え、待ち望んだ平和で明るい家族のだんらん、年の初めのお祝い、、、をきたいしていたでしょうに、、

本当に思いもかけない元旦の大地震、亡くなった方がまだまだ増えていて、悲しい年明けとなり、寒さと不自由の中で これから先の不安など、どんなおもいですごされていることでしょうか。  国の対応も 決して素早いとはいえない 今回の災害、早く来てくれれば助かったかもしれない、との被災者の方の言葉、どんなに悲しかったことか、、などとおもうと こんなくだらないことばかり書いていて、、等と逡巡しつつ、、先に進まなければ、、、