家にある本を読んだだけ、

mosshaven2018-03-13



なので (例によって)古い。


ジェーン エアー は一気に読んでしまうほどの魅力があったのに 嵐が丘は 記憶にない、ということは読んでいなかったのかもしれない。 


最もジェーンエアーは 数年前に 家にあったのを見つけて読み出して、今まで 何故読まなかったのかと考えたら、女流作家、しかも女性の名前が主題、ということで あまり関心がなかった(これはひどい、女性作家ならブロンテ姉妹以外にも 偏見と高慢や 主題で言えば アンナカレーニナだってあるのに)


でも そのだいぶ前には やはり 書棚から見つけた ドストエフスキー罪と罰、こちらは ちょっと気合をかけてスタート、 読みだしたら 人間の心理を 深くえぐり出した 重い作品、自分が 犯そうとする恐ろしい犯罪に 悩み、葛藤し、恐れてゆく心のうちがあまりによくかかれていて、読みながら 心臓が苦しくなるほどでした。


人生の意味をこれほどまじめに深く掘り下げている 世界の文豪、にもかかわらず彼は 浪費(は人にふるまい)と賭博(は 運命等に負けてなるものか、と挑戦)で 人生のほとんどが 生活破綻状態、そして 社会主義者としての言動で逮捕され、死刑を待つ 数分前に 恩赦で その罪を解かれ、シベリアで過酷な数年をおくるという数奇な運命、ぬるま湯に浸った生活をしていては 文学など生まれない、ということなんでしょうか。
 

昔 高校の国語の先生に この少説は 読む年代によって 変わってくるから 必ず 何回か読むようにと言われたことをおもいだします。 以前(多分高校生)読んだ時の感想も覚えていないぐらいですから(あまり感動もできなかったに違いないし 全部読んだかどうか、、、) この偉大な作品を読みなおして 実感しました。  若い時のほうが頭は冴えているはずなのに、、人間は生きていくうちに何かしら体験(それも厳しい負の体験)から学んでいるのかもしれませんね。


本題に戻って、 嵐が丘
何から書いたらいいか、、、今 2度目がもうすぐ読み終わるところ、 You tubeに 映画や BBC のドラマなどがいくつもあって 見だすと こちらは更に止まらない。 見ていて この部分、どんな風に書かれていたかしら?とまた本に戻ったり、日本語訳と全く同じ 会話!とうれしくなったり、、1800年代の 当時の 生活の背景が 見えてくると一段と 関心が増してきます。


登場人物が 多いし、場所や年代も変わったり、そして 複雑に入り組んでいる 人物の関係や ストーリーの展開、 初めはちょっと読みづらいけれど 名前の記した家系図を見ながら筋を追ってゆくと 夫々のフィルムの場面場面が 興味深くみえてきます。


それに Kate Bush の 音楽も あの 荒々しい岩だらけの自然に いつもふきなぶる風、美しいとか爽やかということばには決してあてはまらない、でもなぜか 人を引き付ける、この土地とストーリーとに ピッタリ、耳について離れない 不思議な音楽です。


書き出しの部分に This is certainly a beautiful country! と その土地を訪れた 語り手の一人が言っている皮肉たっぷりのことば、 荒々しい風土に冷たい雨が降れば 雨宿りするような樹木もなく 小高い荒地の丘がつづいて そこらじゅうがぬかるんで 隣の家まで歩くのに1時間はゆうにかかりそうだし 途中は誰一人会うこともない、、、こんな風景は 日本では想像できないし、又 こんな寂しく(冬は)暗い土地で 人と会うこともあまりなかった作者が これほどの すさまじい様な人間模様の長編を 29歳という若さでかきあげて そして わずか1年後 この作品も(当時は)不評に終わったまま 医者にもかからず(彼女自身 医者にかかるのを拒否したという いかにもこの本の作者らしい人生)亡くなってしまうのです。


でも この作者は こんな土地をそれなりに愛していたようです。  早春には ヒース(エリカの花)が一面に咲き 自然を愛し あまりひとと接したがらない彼女は 強風を心地よく受けながら一人で歩き回り 古い屋敷跡を見つけ、構想をねっていました。  今では そのモデルとなった遺跡ともいえそうな 古い跡地は 訪れる人も多いようです。



主人公の一人 ヒースクリフは このヒースと崖(クリフ)からとったのでは? と大発見した様な気になっていたらちゃんと解説書にそう書いてあって がっかりしたような嬉しい様な、、、


拾われっ子のヒースクリフの 残忍ともいえるような冷酷さ、異常なほどに 執心した復讐心、相手が誰であろうと 自分の欲するままに生き抜く奔放さ、そして お互いの魂を一つに感じていた キャサリンにも そんな彼に正面から立ち向かう強さと誰にも媚びない自分らしさが備わっていて、、そして 両者の愛のかたち、それらのどれをとっても 日本の文化の中で生きてきた私達には とても歯のたたないようないきかたです。


Wuthering というのは 風が吹きまくる、という意味のその土地での方言、Heightは (そこにある)屋敷、というような意味ですね。嵐が丘、と訳されて名訳といわれていますが オリジナルの英語には やはり感銘です。  (普通なら 寒さと暗さと寂しさで気がめいりそうな) ムーア(湿地)や 貧しい粘土の岩土に風が吹き荒れ 冬は 人を寄せ付けないような 土地、春には たくましいヒースが咲き広がる そんな 自然を 好んで 謳歌していた作者、だからこそ 読む人の心をとらえてはなさない作品をうみだし、 作者が 書きあらわしたかった主題も嵐に立ち向かう嵐そのものであるような気がして、これ以上にふさわしい題名は無いように思えました。(なんという自分勝手な解釈、)


ロマンと復讐、一つになった魂を追い求める狂気の愛
彼女の書きたかった核心を理解するのは 難しいけれど ストーリーとして読む分には 次から次へと 思わぬ変化があって あきません。  


シェークスピアのように 完成された(都市の)知の究極の文学(という言葉が当てはまるかどうかは別として)とは異なった ラフで 粗削り、人もほとんど訪れないような 湿原の荒野が続く山野の暮らしの中で生きる 人々のそれぞれの個性がえがかれた 作品、


1800年代半ば、の英国の 田舎の領地をもつ2旧家、一つは ゆったりと静かではあるけれど 何不自由なく数人の使用人と邸宅でくらす上流階級、そして一方は 多少地道ではあるけれど 余裕のある農家の 主人が 旅行をしていたときに ジプシー系の浮浪児をふびんに思ってつれかえり子供として育て始めてから すこしずつ この両家の 歴史が変わり始める、というような筋書き、



と ここまで書いて来たら 明後日のゲスト、え?キャンセルにしたんじゃないの?  ということで もう十分長すぎるし、今日はここまで、、、