迷った末に

 

 

なんていうほど大げさではない。

 

 

シニアの夕べのつどい、以前から友人に呼ばれていて、予約券まで届けてくださった。

 

かぜぎみだから 失礼したいのだけれど、

 

ドンが 友人のトムとベンにも声をかけて、

300人のほとんどが白人なので 彼らの知人がいないかも、、と

おもって 同行させていただいたら、、、

 

彼等 前にもこの会に出席したことがあり、かつ あちらこちらで

(白人の)知人を見かけ、、余計な心配でした。

 

いっぽう Mosshaven,コロナでのお籠り生活になれたら 

外出億劫、、、で ひとに会わずにいると 突然 こんな会に出ると

 

誰ひとり 知り合いがいない、、ような気分、、

 

と思ったら、あら あなたも来ていたの?


テーブルに座れば もう5,6年会っていなかったご夫妻が目の前に

 

周りを見渡せば どこかで見知っている人があちらこちらと、、

音楽奏者の彼氏も、こっちを見て笑っている。

 

おもえば18年もこちらに住んでいる,年取ってからの18年はあっという間、

生れてからの18年に比べたら、、、くらべるなんてものじゃありませんね。


歌が上手で みんなを笑わせてくれた楽しい司会者は 亡くなられたそうで、まだお若かったのに、、

 

このコロナひきこもりでの数年間は 見るのも聞くのも痛ましい

いえ信じがたい世界での現実にあっても 身近のつらい事柄が消えていくわけではないことを忘れがち、

 

一人一人の命は 何にも代えがたい 尊い筈なのに、、想像を絶するニュース、 戦争や地震の犠牲者の膨大な数を見聞きするたびに これが現代の今起こっていること、だと信じられない。戦後70年を経て 戦車が火を噴いている情景や塹壕を走り回る兵士たち、が 実風景、とは信じがたい、ぐらいだから いつ何がまわりで起きるのか 他人事でなくなる日が来るのかもしれないような気さえしてくる。

   

デイナーの書き出しだったのに、、、(話がすぐそれる)

300人もの用意をしてくれた方々は クラブのボランテイヤ、

感謝の一言に尽きます、、、が みなさん どうやってこの会を知ったのでしょう。

多分 地方紙、Facebook, ちらし?  みなさん積極的ですよね。

日本だったら、、、無料の夕食、ときいて こんなに集まらないかも

(もっとも 寄付箱が回ってきましたが皆さん5ドル程度)

 

一昔前の ソサイエテイーとはちょっと違う雰囲気を感じます。

おしゃれをしている人も そうでない人も きどらずおしゃべり、

 

以前は 町のちょっとした ハイクラス、のシニヤは 彼らだけの間でのお付き合いがあってこんな会にはお出ましにならない。互いの豊かな家で お茶や食事に呼び合ったり、とくに ネイテイブの人々とは まったくといっていいほど 別世界、

 

彼のママも 学校で教えている生徒には 誰にでも本当に熱心で めぐまれていない子供にはとくに暖かく思いやりがあるのに、いったん学校を離れると お隣のインドのレデイーとは はなしをしたこともなかったし、

 

で、日本人の私との結婚も猛反対、離婚して子供もいる息子と結婚するのは 彼女(私のこと)にとって有利な結婚ではない、などと言いながら 遠くのアジア人などとの結婚に不満があるのは明らか、子供が生まれると告げたときは 喜んでくれず、私には 何故?と理解できなかったが、日本人とのミックス、など考えたくもなかったのでしょう。実際 彼女の生徒の中に日本人がいて 彼らはとてもまじめで優秀、と褒めていたにもかかわらず 自分の家族に日本人が加わるのは抵抗があった(という過去形) 

 

おなじこと、私だって 娘が 同性結婚と宣言したら 心から歓迎できるかどうか、、

つきつめれば 彼女本人に幸せになってほしい、から 協力したいけれど 心配のほうが先立つ、、、と書いてきて、、

要は やっぱり 本人の意思を尊重すること、支えることが 大切なこと、と今なら言い切れそうです。

 

初めてこの主題に向かい合ったのは 20年以上前 通っていた教会の区司教のお達しで 同性愛者への見解、理解をふかめるためのDiscussion,をすることになり、当時は 公に話し合うことさえ ちょっと当惑気味、それが今では ごく普通の会話、自分の家族も、、と話し出す人がいても抵抗はない。

 

おおくのことがらは みな 時代が深く関係していると(私には)思える。

夫が (当時は)大会社の役員、まわりも ハイソサイエテイーの白人の友人ばかり、

それが突然 息子が 遠くのアジアから (彼女にとっては理解できない)日本人を連れてきて結婚、何より周りから 何とみられるか、白人だけの社会から はみ出す、というようなことを恐れる、そんな(当時の)気持ちは 容易に想像できます。

 

でも あのころの日本は 日本 No.1 を目指していた頃、けっこう勢いもあって、、ママの想像していた 昔のオリエンタルムードよりはましであるにもかかわらず 一抹の不安、不満、はぬぐえなかったことでしょう。、 

 

それなのに 子供好きの彼女が 病院に見舞いに来ての 最初のひとこと、

有難う!可愛いい(うまれたてのベビーを見たことのない私には そう思えなかったのに)女の子を生んでくれて!と 大感激でした。 彼女の6人の孫は 全て男の子だったし、それに 娘が(何しろ日本の教育ママがついているので)学校の成績も よく、

音楽も 地元(たかが地元なのに)で優勝したり、新聞にも写真付きで何度か掲載されたり(本人は嫌がっていても) オーケストラコンサートツアーなどなど目立つことが多く 何かとグランマの話題に上り、いつしかグランマのお気に入り、年取ってからは頼られる 孫娘となり、

もう一人のお気に入りの孫が日本人と結婚する頃には まったく ノー プローブレム、

 

というふうに 話が飛んで過去のことばかり、、、

最近は ネイテイブのパワーが 徐々にオープン、そして彼らの権利を認める運動もひろまり、そして国からの 償い金が でて、 各地で目立つ豪華なビルなどは皆ネイテイブによるもの。

このちいさいアルバーニでも いぜんとして シニヤのなかには ネイテイブに対する偏見もみられる(この日も出席者の90%以上が白人)いっぽう、若者(中年も含めて)の間では 今や お互いに自然の雰囲気を感じるのは私だけではないでしょう。


ところで この 感謝すべきデイナーのメニューは ローストビーフ

なのだけれど、 あまリおいしそうでは、、、半分ほどのお肉を隣の彼のお皿にうつしても やっぱり たべられない、、決して 日本の高級レストランのビーフを思い浮かべているわけではないけれど、、 でも、、なんだか(まずそう)

おやさいも ゆでたブロッコリーと人参(例の袋に入ってるの)が 無造作に、、、って300人ですよ、それもボランテイヤ、無料、、、Mosshaven 文句多すぎ、

 

お肉ならなんでもいいの? 周りを見ても残している人はいない。

ドギーバッグを用意していているレデイーも見かけたし、

まずくて、、食べられないって、いつの間にこんなにわがままに、、、

 

デザートのチョコケーキはぜんぶいただきました。 

けっきょくあまい物が好きでお肉がダメという単純な理由かもしれないけれど、、

 

 

ベンを送っていく車中で(しつっこく)聞いてみました。

 

いつも シニヤホームの食事がまずいとおっしゃってるけれど 今日のと比べたら?

ホームのほうが ずっとまずい、、、、、(っていったいどんな食事?)

 

でも このデイナーに出席した半分以上(いえ シニヤだから大半の方)は 

刺身?、、オー ノ―、生の魚なんて、、、(気持ちが悪い)

コンブ? そこら辺の海辺で拾ってきたやつか?  というぐあいになるんでしょうね。