お見舞い

 

 

 

だいぶ以前にお話しした 私たちの知り合いの90代の女性、

 

認知症で 病院に送られ、その間に手術を済ませたご主人が (どんな弾みか)術後の管を夜中に外してしまって心臓発作でなくなられ、その後のなんとも(私たちには) 受け入れられないような彼女の人生晩年の日々、

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ちょうど コロナのスタート前後、すぐに娘が お見舞いに出かけてくれて以降、面会は禁止、施設からの連絡は わが家には 急変が起きた際の連絡、娘には (一応)定期的にズームの連絡が入る(でもその時娘がいなかったり、仕事中だったり、或はご本人の精神状態が悪かったり、、)で ほぼ月に1,2回あるかないかの状態。 此方からは電話もできない。

 

娘は 他の2人(やはり友人ご夫妻のお子さん)と連絡し合い(私たちと同様)施設や関係者との連絡を取り合い、特に一人の方は施設が近いので 面接が可能になったら 会いに行くなどのとりきめがあったのだけれど、、

 

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彼女がころんだので レントゲンを撮ったが骨折はしていない、、との報告が

2,3回、、、専門の施設で どうしてそんなにころぶのか、履き物を変えてみたら、、ほかに(転びやすい)疾患があるのでは、と いろいろ言っても けがはしていないけれど 又ころんだ、、、という連絡、、、堪忍袋の緒が切れたドン、ちょっときついことをケアーパーソンにいったみたい、、 

 

それを聞いた娘と 又 ぱちぱち(我が👪 皆言いたい放題で 衝突はよくある)、、、もう ズームインは 10日に一回でいい、女性同志でまいにち話していたらいい、、、とおかんむり、

 

ケアーパーソンは ナースではないし、46時中ついているわけにはいかないし、多くの認知症の患者を相手に低価格で働いている、なにもできないこちらから 彼是文句を言う筋合いではない、、と娘に言われて、、

 

遠くにいる自分には何もできないし、和食やお菓子、お化粧道具など見立てて、早々に1時間余りのドライブをして会ってきてくれた娘に 文句を言うべきではなかった、と少々頭を冷やしていた矢先、

 

(もう2回の接種が終わったから)面会の許可が出た、と 彼女 早速 おすしや 和菓子などをあれこれ買って ひさびさの面会に行ってきてくれました。  欠点は(親に似て)色々あるけれど、、、決まった定職もなく 地味な生活をしているのに こんな時は 何やら沢山買い込んできて 父親に似て気が大きい、田鶴得てくれてありがとう、、

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先回 懐かしい昔の(ご本人が写っている写真を選んで)アルバムも作って持って行ったのですが それもなく 又 私の送ったセーターやカードも見当たらなかった、とのこと【自分の知らない衣服は こんなの 私のじゃないと着ないのかも)。  昔を思い出すような写真などは かえって 刺激が強すぎるのかもしれないし、

或は 余計なものを置くと整理が大変なのかもしれないし、日々の状態がわからない私たちには おまかせするよりしょうがありませんね。

 

ただ 彼女が個室で お話しているときに 通りかかったケアーパーソンたちが みなあら!よかったわね!などと 部屋に入ってきて明るく話しかける、あるいは 日本語おしえて!などと 笑いかける。

 

あかるくて 陽気な彼女たち、と聞いて何よりうれしく思いました。 英語の堪能な彼女だったのに今は ほぼ日本語ばかり、(言葉が通じないのはどんなに不自由、それに日本語のテレビが入ったら、と思う一方、逆によくない影響が出るかもしれないし、、)

 

娘の訪問を 何度でもいいわよ、と言われた、、とっさに(何度でも転んだりしても何もできない(しない)ケアーパーソン、彼女を邪魔に思っている?などと憶測してしまった私、思わず涙がでそうなほどうれしかった。

 

それに 夕方から かなり激しい性格に豹変する(ことがあるらしいし、小柄なのに健康でよく走ったりするとのこと、だいぶ迷惑をかけているのかと心配していたら、彼女の はっきりして面白い【❓私の知らなかった部分】性格が ケアパ~ソンたちに好意をもたれているらしくなかなかの人気者らしい

 

たとえば 娘とズームで話し中でも バッグを肩に抱えて、もうオフィスに行かなくっちゃ、いそがしいからこんなところでおしゃべりしていられないわ、とか、、

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なんだか 気持が暖かくなって、、【カナダの】ホームへのイメージがわからず 

悪いことばかり想像してましたから、、ドクターチェックも 定期的に行われているとか、マニキュアがしてあった、とか 髪も整えられていた、走れるぐらい健康、、(私は走れないし、関節炎で指が変形、マニキュアどころか 爪を切るのが大仕事だから 15歳以上 年上の彼女が想像できないほど)

 

嬉しいニュースでした。

でも ドンは もっと彼女がいい暮らしをできるはずだ、自分に余裕があれば 弁護士をやとって彼女がもっといい生活ができるようにしてやれるのに、政府は怠慢、と不満そう、、、ほんとうに いまも彼女の家はそのまま手付かず、もし室内で遺書が見つかれば 彼女は昔のようにいい生活ができる筈なのに、、、娘に言わせると 私達(3人の若者)は もう びっしりと書類を調べたうえで(第3者が立ち入ることは)不可能とわかっているのだから、、、と言われてはいるんですけれどね。 でも 年金でさえ

(これはドンの会社で働いてくださったときの良いレベルの年金)彼女の日々の生活に使用されず、だいいち あの立派な家を売っただけで ハイクラスのホームで暮らせるはずなのに、、)彼女がそれをわかっていない事だけが ラッキー、生まれたばかりの赤ん坊が どんな綺麗なベッドで 高急な食品を与えらえても わからない、、ということと同じ、なんて考えたくありませんが、、、