又 ヴァンクーバー行き
今回は 半年ごとの眼医者と パスポートの受け取り、
日本へ行けることも なさそう、でも 自分が日本人であることの 証明書、
自分はどう考えても日本人、カナダ人には なり切れそうにない、と思いつつも
この機に至っては もし今日本にいたらどんなに浮いてしまう存在かとも思えるし、、、、それに カナダ人は もとをただせば みなどこかから来ている人の集まり、自分だけが特殊、とおもうのがまちがいなんですけどね、
私のような移民に限らず、2世、3世、ハーフ、皆それぞれにIdentityに関しての
考え方、感じ方は千差万別のようです。
それに 世界が狭くなって、、人も複雑にまじりあい、そのうち国の存在がなくなる?などと思ったこともあるけれど コロナでみな引きこもり、そして 大国がますます自国だいいちどころか、お互いに敵意をあらわにし、一気に 世界は後戻り、(すぐ 話がそれる)
とにかく いったん更新手続きを逃してしまうと 後の手続き、かなり複雑そうなので申請、そして 受け取りに行ってきました。
またまた 忙しい娘に世話になることになって、彼女には早朝から 一日 あちらこちらとドライブしてもらうことになって、、、
まず途中のダウンタウンで ドンの買い物、(又 日本のお店,Muji) 眼医者、そして ランチの後は
又 ダウンタウンに戻り、パスポートを受け取って、又 眼医者の近くに戻り
プラント(!)のお店(Mosshavenのわがまま)そして早めのフェリーボート ターミナルにゆくとちゅう 日本食料品店に立ち寄って、、、これを全部済ませても
いつもより早いボートに乗ることができて、、、ほんとうにおおだすかり、
今回は特に コロナの心配がある上に 私の足の痛みで思うように歩けなかったから’車の移動で助かったし、買い物も車がなければ無理、それに ヴァンクーバーもかなり変わって、ほんとうに 田舎のネズミが街にやってきた状態、
眼医者のビルは大きくてちょっとした高級品のお店が多いのでいつも 帰りは散策していたのだけれど、今回は 誰もいません! お店も少ししか開いていない。
眼医者のオフィスは コロナの為、待合室が使えず、外(ビル内)で時間をつぶす.
彼が お店に入ろうとしたら 何かお探しですか?(買い物?)ときかれ、いやちょっと見てみたい、それでは ご遠慮ください(❓)と言われたそう、ビルの入り口には ガードマンが立っていて 無用の人は入るべからず?とでもいわれているような、、かなり 厳しいコロナ対策にみえる。
この間(私たちが眼医者にいる間)娘は又 遠くのフェリー(結局 片道40分ぐらいのドライブを3往復)にいって 両親のキャビンから帰ったマシュウをピックアップ、
そして れいのお気に入り寿司を ランチ用に 既にオーダーして用意済み、今度は ドンの誕生日が近いから、って ドライブしてもらってごちそうになって、パーキングさえも すべて カード払いとなっているので もたもたしているうちにさっと払うし、気が利くというか親の出る幕がない。、、、ちかくのQueenElizabeth Parkの木陰で みんなでピクニック、
ほんとうに助かっただけでなくって、(こんな時だから)会えてよかった、
毎日電話で話しているのに、今度いつ会えるかわからないし、、、
こんな時 娘がいてくれてよかったと思うけれど、私たちは もう年齢てきにも 彼女を助けたり手伝えることはなにもないし、それより 彼女が年を取って こんなとき 誰が助けてくれるの? 大丈夫、特別の友人が何人もいるのよ、といわれても、、、、心配性のMosshavenなのです。
今は 多様化した世界、そして 私の生きてきた時代とは異なる生き方、考え方、Mosshavenの時代は 25でまだ結婚していないと OldMissなどとささやかれる時代、でもそのころ ちょうどアメリカの会社にいたので かなり自由な環境、離婚したり外国帰りの女性, 或はシングルマザーも皆 うわさなどされることなく その時代の日本にあっては のびのびと行動していました(今なら当然ですが)
あれから半世紀近くたっているのだから、当然 若い人、女性の考え方、生き方も 変わっているはず、 昔ふうなMosshavenと いまでは自覚していますが
若い頃は かなり常識外れ、型破りなところもあって、
まず結婚より 自由でいたい、束縛されたくない思いの方が強かったように思うし、仕事を続けていきたい.自分で一生かけてできるものをみつけて生涯つづけてゆきたい。 でも友人(今の言葉で言うならパートナー)はいてほしい、という欲張りな人生、それが、、どんな弾みか こんな結果になってしまいました。
あらあら 又話が飛んで むかしのことばかり、退屈なお話はこの辺で、’