Celebration of life

mosshaven2009-03-31



昔からの伝統的な Funeral のかわりに
この Celebration of Life の形式を
取り入れる人が 多くなってきた。


先日も 新聞に載っていて、知人ではあるが 直接の知り合いでは
ないので 伺うつもりは無かった。



が 亡くなった両親の友人からの電話で あなた方の両親が
とても親しくしていたから代表して行くべき、とのメッセージ。  
お見舞いならともかく,亡くなってしまったのに、とは思いつつ、
先輩のお言葉に ”はい かしこまりました”(この歳で 素直な私達)


場所は ゴルフコース、この時点でも 私は いつもの 教会での
礼拝形式を想像していたので、あのレストランで 一体どんな風に?



品のいいレストランに足を踏み入れたら、(まるで結婚式のように)
室内いっぱいに 個々のテーブルが真っ白なテーブルクロ−スに
覆われてセッティング、なんだか(ご指名で)招待されていないのに
いいのかしら、、?



指定の時間を 小一時間過ぎてやっと ごあいさつがはじまり、故人の
ビデオと共に 多くの人にとって) なつかしい時代へとさかのぼる。



その頃には 参加者もそれぞれ、知人をみつけては ハグをしたり
おしゃべりに(真実)花が咲いていた。  あまり知人もいない、と
思っていた 私達のテーブル、次から次へと 知人が寄ってきて
思いもかけず にぎやかになって 彼も何十年ぶりの友達と話が
でき、私まで ちらほら知っている人がいた。


話しているうちに 必ずと言っていいほど お互いの接線がでてくる。
(半世紀ほど前)お前は 俺の隣の隣に住んでいた、とか お前は
おやじににてきたなー、とか あなたの両親から あなたのことは
いつも聞いていたわよ、とか Etc. Etc.


彼は 本当に楽しそう、だったけれど、、
勿論(こんな 冷たくて暗い雨降りの午後だし)いつもの 野良着を
ちょっと着替える機会でもあり、ワインもビールもフリー、美しい
窓の緑を眺めながら、、それは楽しいおしゃべりのひと時(誰かが
亡くなった、というのに、、、でも こういう形でお互いが 故人を
含め、昔からの交情を温めあったり 故人の家族と温かい思いで 
話し合ったりするところに 意味があるらしい)
 

   
でも 誰でも、誰にでも知られてしまう土地、(大都会に育った私、
はたして うまく 溶け込めるのか?と  自分に 問いかけてしまった
ある日の午後。)