パイオニヤ ファミリー

mosshaven2007-03-15




ここ ポートアルバー二 は 人口14000人
そのせいもあるかもしれないが ここに移って
約1年半 スーパー、銀行、病院、或いは車の修理、
美容院、、、などなど 何度 ”あなたのご両親(正確には彼の)よく知ってますよ”といわれたことか。


ママは ずっと学校の教師をしていたし、パパは その頃この町を代表する産業
というかこの町は 当時その大きな木材会社で成り立っていたが、その重役まで
行った人で、多くの人が彼の元で働いていたからパパのことを尊敬している人も多い

心が広く、身体はたくましい(若いとき レスリングをしていて 電話帳を
引き裂けるのが自慢)  怒り、不平、ずるさ、文句 いずれも見たことが無い
(人に怒りをあらわすのは 悪いマナーと言う)正直で人に差別をつけない、
思慮深く、自分の哲学があって そこぬけに明るく楽しくて、そして優しく、
自分には厳しい。(考えたらいくらでもでてくる、、、)


その上、昔の写真を見ると これぞ スエーデン美女ならぬ美男、足が
長くて、金髪で、、そういえばなくなる時まで しわなんて見られ
なかった。 どうして あなたはお父さんと ルックスが 全然違うの?
と日ごろ不思議に思っている質問?、、彼いわく、スエーデンには 
2種類あるらしい、、、そうかそういえば、あの人この人と思いあたらぬ
こともない。 残念、でも日本人だって様々、人のことは言えた義理か。


パパはここで一代目、でもママの祖父母はイギリスから渡ってきて、
ビクトリアで牧師、そしてその娘、ママの母親の代から この地に
住み始めた。 ママの兄弟姉妹は すべてこの地で生まれ、一人の姉が
生存しているほかは すべて同じこの地で無くなった。 


最近少しみられるようになったが その頃は皆 独立、親と同居は
なかったようで、それぞれの家が今でも (他の人が住んでいるが)
あまり大きな変わりは無く、車でみなひとまわりできるところにある。 
私の主人がこどものころは 3軒が隣りあった親戚、毎日のように
歳の近いいとこ同志 8人で 遊んだり、誕生パーテイーやクリスマス
ともに過ごし、裏庭の木に一緒に登って さくらんぼを食べ続け、
おなかをこわしたり、地下室で毎日のようにバンド演奏をしたり、 
喧嘩をするときは あの橋の下、とか そこらじゅうに思い出が
ちらばっている。


私も あ ここは 裏庭のあの誕生パーテイー とか、 グランマのバラ園 
などと 古い写真とつなぎあわせることができる。 教会でも彼の両親や
その兄弟達、いろいろの働きをしてきたし、カーりング、ゴルフ、仕事仲間
他色々なクラブやらで 多くのしりあいがいる。 ポート アルバー二 
といえば すぐ 両親とその親戚のシニヤ達が思い浮かぶと言うか 彼ら
そのものが この土地を代表しているし、彼らなしでは考えられない。


そのパパもおととし、ママも昨年亡くなって、この土地にはもう少なくなった
パイオニヤ ファミリー が 又消えて、でも 寂しく思う人さえ少なく
なってきたような気もする。  パイオニヤを懐かしく思うような人は 
彼らも又 相応のとしなのだから、、