戦後の日系人 収容所を経てから80年

 

 

 

ゆっくり朝食後、未だ涼しい玄関前で 雑談に興じて、

4人の老夫婦、猛暑の3日間は無事何ごともなく(面白おかしく)過ぎて、、

 

大きなトラック(は頑丈で事故に会っても安心、且つ他の車が寄り付かないからとの理由とか)乗ってお帰り、これからヴィクトリアで3泊、

(結果としては3日間で1000ドル以上支払ったホテルに宿泊されたのに、ひどい悪環境だったとか、、、笑っちゃいますね、おんぼろ屋で冷房もなかった方が、、楽しかった、とは。

 

実は このゲストが見える前に ラミ―フレンドからお声がかかり 参加したつどい、

戦時中に 全てを没収され、悪環境のキャビンでの生活を強いられた 当時の日系カナダ人の方々、

 

このヴァンクーバー島での生存者の方が招待され、私たちは希望参加、

 

ラミ―フレンドは収容所で生れたので生存者(?)の中では最も若いことになります。

アルバー二から同行した 彼女のいとこさん、ふたりとも祖父母の代に日本から移民、なので日本語は できない、でも 祖先のふるさと、日本への関心は高い。

いとこさんは この活動にかかわってきたボランテイヤ、ごくろうさま!

 

Mosshaven ちょっとワクワク、、日系中心の集まりなんて 随分久し振り、、

 

まず 署名してから 受付で 若い日系のボランテイヤの方から

羊羹とおせんべいを受け取って、これでまずちょっと びっくり、

 

デザートだったんでしょうか、お土産、のような感覚をおぼえて、

(忘れていた)日本風の おもてなし? こちらの人には え?なーに、これ?という感覚なんでしょうね。 

席に着くと、ご挨拶と現在の(日系カナダ人戦時中の生存者)あらましなど、、

それから しゃみせんや、日本舞踊とつづき、

 

そのかん オーダーしていた鮭かチキンかを聞きに回る ボランテイヤ、

そして ランチ! には みなさん びっくり、 

 

 

メインの鮭のほかに

春巻き、餃子、寿司が二つずつ、サラダも、、、えー、こんなに食べられない、、と女性軍、いいながらも、、、

これで10ドル?(関連参加希望者のこの寄付で賄うと 聞いていたけれど、、多分 日本レストラン等の多大な寄付があったことでしょう)

 

テーブルには 冷たい水のコップ、こけしと花が飾られて、、ちゃんとナイフやフォークも置かれてあるし、

余興の合間に お皿やお茶を配って歩くボランテイヤは 邪魔にならないように、

かがんだり、走ったり、、

 

こんなにすべてが用意万端、整えられて、、、豪華なホテルやレストランでは 訓練されたサーバー、でも ここでは 素人なりの ひとりひとりの気配り、それは

やはり、自分たちの祖父母であったり、自分たちとつながりのある祖国のひとびとが

困難な思いをして生きてきたことをおもってこそ できる働き、というようなものを感じさせられました。

実際に収容された方々の全てに連絡を取って、カナダ全国でのもよおしだったようですが このヴァンクーバー島では 合計17人、遠くの方も参加できるようにと 車のガソリンも払われていましたが、ラミ―フレンドの 97歳の叔母さまは残念ながら欠席でした。 皆さま ほんとうに つらい経験を乗り越えて ここまで来られて よかった、、

私の隣のカップルは ラミ―フレンドの遠い親戚ではじめての対面だったようですが、

とてもきがあってしまって、ずっとおしゃべりしていたのはMosshaven.

 

いとこさんもごいっしょなので、ドライブは ラミ―フレンド、(で楽々ドライブ)

かえりには コストコへも寄ったり、、、

いつもとはちょっと違った 心温まる経験のナナイモへのドライブでした。