移民の歴史

mosshaven2013-09-16



というと大げさになってしまうけれど、


日系の友人の祖父母一家が トフィノの島に移民、フィッシングで活躍
していた当時をたどって ドキュメンタリー形式で フィルムに再現してみようと、
プロの友人が ボランテイヤしてくださることになった。



そして 今もご存命、且つ 記憶の鮮明な 90代の 叔母様方に インタビュー
することになり、


2台の車で(私達は 友人と一緒に)ユキュレットにむけて 早朝出発、


あいにくのお天気で ユキュレットやトフィノに 特有の 霧雨に覆われた山々の間を
ドライブ、


4ヶ月ぶり、なつかしい面々とご対面、
(自分も歳をとっているけれど)自分より年配の それも日本の方々とお会いするのは
なにか しみじみと なつかしいような気持ち、


まずは お茶と 友人の 作ってくれた シナモンバンで 
一息入れた後は


インタビューの みなさんが ファミリーだけで リラックスできるように、
Mosshaven と ドン は 近くの Westcoast Trailを 歩いてみることに、


この ハイキング コースは 島の中でも 特に 良い場所が選ばれて
指定された箇所なので 前から 歩いてみたかったところ、


他の Westcoast Trail には 半年ぐらい前から 予約して 何百ドルと
支払って 1週間あまりも 歩くようなコースもある、が
こちらは 3,4時間ぐらいの 軽いコース、


9月、それもウィークディにもかかわらず、 あちこちでハイカーがみられるし、
彼らの多くが BC州以外から みえている模様、



一歩 入ったとたんに 海を隔てて 静かに つらなる
樹齢をへた 神木と呼びたくなるような 木木にみとれてしまう、、


体も心も すっかり 森の一部となってしまいそう、



ちょうど 半ばあたりにある 灯台の警告音というのでしょうか、
霧の深い日には いつも流されているらしい 


この 音色が又 なんともいえない。



短い夏の間だけ かもしれないけれど、
こんな 感動的な 散策が毎日できるなんて 
ユキュレットの人は なんと恵まれていることか、


5,6分おきに おいてあるベンチ、
ともかく 景色がいいところばかり、ここもあそこも
座って 


ぼんやりしたり 瞑想したり したくなるから、
少しも ベンチの数が多すぎるとは思えない。


海際の地形なので 少しずつ 変化が見られる。


もっともっと歩きたかったのだけれど、
ランチよ、と 携帯で 下界に戻される。


景色も素晴らしい、でも あの手つくりご馳走だって見逃せないから
急いで、急いで、歩きましたよ。


素晴らしいハイクの後で ご馳走が待っている、なんて
ラッキーな私達、


あげずし、まきずし、お饅頭、グリルドチキン(これらは 90代の方々のお料理) 、
スペアーリブ、ポテトサラダ、やきそば、それに スイーツも、、、


豪華なテーブル、(お手製で和食なところが 一番 うれしい!)


そして 食後は 個別の インタビュー、


先輩レデイーの 記憶のよさ、よどみのない会話力に、


ただただ 感心するばかり、


こちらで生まれ育って 戦後 日本で教育を受けて帰った方や、


ご両親の代から カナダ、そして 結婚で ヴァンクーバーからこの地に
移られ、戦争中は 収容所で暮らされた方、


カナダで生まれ 幼少時から(戦争前後)ずっと日本ですごされ、お見合後 カナダに移民、
突然 このカナダの北端の海辺 ユキュレットに移られて 
寂しく 何でも手作りの生活が 不自由だった、とか、、、


でも 当時は こんな北の カナダの海辺ながら 日本の漁業関係の移民も
少なくはなかったらしい、


戦争前後で 日系カナダ人としての 立場や環境が 大きく変化し、
その時代を 生きてきた方々は どんな風に 受け入れ、我慢して偲んで生活して
こられたのか、



少しずつ みなさんの 人生が 分かれば分かるほど 
更に 知りたいこと、聞きたいことなども出てくるが、
残念ながら 時間切れ、


私自身も そういえば 戦争中の両親がどのようにすごしてきたか、全く
聞くことすらしなかったことを いまさら残念に思う。