お葬式

mosshaven2018-07-06




今朝は お葬式に行ってきました。


77歳の ドンのマックの友人、先日 心臓発作を起こして ビクトリアの病院へ入院、
手術という話は聞いていなかったので もう退院なさった頃、と思っていたのに、、


マーケットにもよくいらして Mosshavenの テーブルの用意なども手伝ってくださったりしていたので なんだか信じられない、、


彼はカソリック信者、でしたので スラックスに着替えて正解  最近はお葬式が少なくなってきて、あっても お別れ会がほとんど、会場は カジュアル、服装は、、ダークジャケットにネクタイのドンなんて浮いてしまうほど、だったから 今日は(控えめに)ノータイ,ダークジャケット、


カソリックの教会は 特に伝統や形式を重んじているので 黒のジャケットやスーツ姿がほとんど、久し振りに ドンの両親の世代に戻ったような気分、私達も何十年と通った教会生活をおもいだしました。 



昨日は 偶然のように オーム教でのニュース、いかに指導者によって 人間が惑わされるか、人間が救われるはずの宗教が 人を殺し合う結果を招いて、何故教養や知性の持ち主があんなにのめりこんでしまうのか、まるで 神と悪魔の戦い?などと言ったら現実主義者には 一笑に付されてしまいそうですが、、  でもこの伝統の重みのカソリックは ゆるぎなく今も健在、とても 反論者を受け付ける余地などありそうにない、でも 現実は 聖書がオープンになり 誰もが教育を受けられる 西欧の地では
処女懐胎、数々の奇跡、現在には通じない男尊女卑の ことがらなどを いかに解読していくかが 離れていく若者の層をよびもどすことになるわけでもあるし、いまだに厳しく戒律を守り続けるイスラム教の信者の数を考えると やはり 人類だけに起きうる永遠の課題でもあるのですね。



現実の御話に戻って、こんな町、だから 必ず 10人前後の知人に出会って、、礼拝堂の地下にあるホールで お茶、ゲストは 90%以上がシニヤ、シーンとしていた礼拝とは違って
おたがいの近況などを話し合っています。  故人の奥様は体が悪くて 車いすがほとんど、ホームにいかれるのかしら、と (将来の自分たちを思えば)身につまされます。


この町では プライベートのホームがないので みなさん 如何なされているのか、と時々思ってしまうのです。  2家族で住むという話はほとんど聞いたことがないけれど 親子で近くに住んでいる、というケースはときどき耳にはいります。  だから家族が遠くに離れていて自分のことが出来なければ ホーム以外にないし、結構大きな家に一人で住んでいるシニヤも 多いようです。


Mosshaven、いつまで こんな ミニ農婦生活ができるの?と自問自答。
が ドンは 将来の生活など 考えたこともない様だし、もちろん計画もたたず、
ということで 何も考えず いまのところは できる範囲で のーてんきな 私達、


曽野綾子の著書にあるように 日本人は ラッキー、水、電気、紙もない生活、なんて 考えられない、ほんとうに 恵まれている、ことを Mosshavenも つい忘れがち、


今日は ガーリックの 収穫を始めました。
50本植えたような気がするけれど、、どれだけまともに収穫できるかな、、


小さいリンゴぐらいの大きさの、この ジャンボサイズ、我乍ら驚いて こんな農作業(にも入らないけど)をすることになるとは 若い時には思いもよらなかった。



こちらは おおきな葉にかくれてみのがすところ、ズッキーニ、食べごろです。


今年は 特にラズベリーが 沢山、毎朝、毎夕 手のひらに入らないほど、、、



一生懸命育っている野菜やフルーツの恵みをいただいていることへの感謝が God's Gift などと 思えてしまう、こんなことが宗教への始まりだったのではないかな、などと考えてしまう このごろです。