久しぶり

mosshaven2016-06-21




に 二人おそろい、


息子のほうは このところ毎週のように
Torontoから わが家で一泊しては 湖で(もう山荘という懐かしい言葉は消えてしまいました)新築中の家を点検に
きています。


ちょうど お嫁さんが 日本から帰る途中にこちらまで足を延ばして 家の様子を見に来ました。


彼女に会うのは久し振り、日本語で話すのも久し振り、ということになります。  ブログを書いたり、日本語テレビを見たり、メールをうったり、あるいはコンピューターも日本語ばかりみていたり、と 一日の大半が日本語、の様な気がしていましたが、


やっぱり 書いたり読んだりだけ、話すのは 何か月ぶり、だった、とあらためて気が付きました。


もっとも だいぶ日本とはご無沙汰しているので、
しょっちゅう日本へ飛んでいる彼女からしてみれば
ちょっとピンとこないような 昔の日本人、いいかえれば
宇宙人(❓)と話しているように感じられたのでは?
というほど大げさではない、ことを希望しつつ、
おしゃべりに興じました。



夕食は マーボー豆腐と 八宝菜、サラダにもちょっとお醤油を垂らしたり、和風メニューです。


デザートは プラマンジェ、アーモンドを砕いて混ぜたらちょっと滑らかさに欠けてしまったけれど トッピングに去年作ったペアーのコンポートをのせて いただきました。  


結婚したての頃、カナダへきて じきに日系の教会へ毎週通っていましたが そのときに お会いした 60代、70代の一世、2世の女性の方々、をふと思い出します。  日本から 新しくカナダへいらした若者たちに私が会うようなことがあれば 私はきっとあの時の一世の方々と同じように映っているんでしょうね。 いえ、戦時中に土地や船、家を没収されて キャンプ住まい、厳しい体験をされてきた方々と ぼんやりのんびり育った私達(の世代)をいっしょにはとうていできませんが、


当時 30代(何も知らないくせになまいき)だった私などに よく目をかけてくださって ほんとうに温かく迎えていただきました。 その方々も ほとんど亡くなられましたが 当時のみなさんは 日本へはいらっしゃらずに この地で終世を過ごされたようです。


カナダで生まれた方も 小さい時に日本で育った方も きっと 何時かは日本へ、と思いながら チャンスがなかったのかもしれません。  私から日本の話を興味深く聞いてくださったこともありました。  日本のテレビもコンピューターも普及していない時代、多分 遠い祖先を思い、憧れの様な なつかしいような 祖先のふるさととして心の底に定着していたのでは?などと思い、 そのお一人お一人のお顔が懐かしく浮かびます。 


亡くなった母の年齢にちかづくと 当時は どんなことを考えたり感じたりしていたのか、など 少しずつ見えてくることもあり、
若い頃には まるで気の付かなかったことが わかるようになるものなのですね。  年を取るにつけ、忘れたり思い出せなかったり、マイナス点ばかりが目立つけれど、
時にはこんなこともある、
でも 今となっては もう遅い、、(母にも一世の方々にも もう親身になって話を聞くことさえできないのですから) 人生とは こういうものなのか、、なーーんてわかったようなことを
いってるMosshavenでした。