mosshaven2015-02-28

[大動脈弁置換術] 退院まで




手術後 一般病棟に移ってからは
日に日に 回復度が増し Mosshavenもリラックス、
柔らかな日差しの ヴィクトリアはどこを歩いても春の彩り、


それに引き換え、順調な回復とはいえ、
首と胸に大きな傷跡も生々しく、薬漬けで食欲もなし、でてくるのは
ほんのちょっぴり、生暖かいコンソメスープにジュース、大匙2杯ぐらいのジェロー、
切開部分を守るため、あおむけ姿勢で寝たままの10時間以上、
時計を見つめては まだ1分(しかたっていない)、、

これは 最初で最後となった はじめての(飲み込む以外の)食事
実は 手違いで 2食運ばれて、半分 Mosshaven お手伝い、



術後3日目の午後 ようやく待ちに待ったシャワー、
心臓部分をカバーするため、腕をひろげずに お祈りの形でシャンプー、
そして やっと パンツ(ロング)をはかせてもらって、、
それ以前は 貧富の差も 人種の差もなく 老いも若きも男も女も
すべて この青い衣類をきせられて そろそろ歩いている様は 神の前では
ならぬ 病院内では すべてのひとが平等に扱われていることを感じます。


一千万円近い費用が掛かっているのだから 術後のケアーの不注意で 再手術などということの
ないように といわれましたが、広くて 新しい トイレシャワー付き個室、
外科医は 3日、麻酔医も一回 様子を見に来てくれたし、ナースは みな明るく親切、
アメリカだったら この手術を受けられない人がどれだけいることでしょうか。


ということは 少しの無駄も許されません。 患者はミニマムの回復状態で退院ということになり
シャワー、階段などの練習を終えることができた(彼の場合は)5日目の退院となりました。
少しでも問題のある場合(同じ手術のPAの友人は 出血量、そして糖尿病などのため10日間)
病院側は注意深く見守ってくれます。


手術後すぐに友人、そして 息子や孫  シス、友人夫妻など 訪れてくれました。
ところで この 薄い黄色の天女の羽衣とゴム手、病室の出はいりごとに 替え(捨てている)ので
もったいない(消耗品の無駄)と思って なるべく出はいりの回数を少なく、と心がけていたら、
そうなのよ ナースは日に60回変えることもある、とのこと、、、驚きですね。
ドンの場合MRSAというメチシリン耐性黄色ブドウ球菌を保菌しており 健康な人には害のない菌ですが  
病院では 体力のない患者などに感染しない為に着用する、とのことです。


さいごに 階段の上り下りテスト、


ぶじ 通過、めでたく退院、



ナースのみなさん、何十人とお世話になりましたが、、みなさん ありがとう!


車は1時間ごとにおりて 血流を良くするように、と言われましたが
せっかくのお天気とビクトリア(?)だから ホテルに2,3日滞在したい、
と言い出す ドン、(あなたは お殿様ですか?)
病院から出たら 何が必要になるかわからないし 留守の鉢植えも気になるし、
我が家の逼迫経済なんて 全く解さないドン、
とはいえ やっぱり 長い距離、それに 大変だった彼も少し休息(家でも同じですが)
したいかな、と もう一泊することに(妥協)


そして さっそく その日に訪れた プロジェクト友人とランチ


初めての外気に触れて 足元も スムースな病院とはちがうし、
大分 疲れ気味、


やっとホテルでリラックス、リモートコントロールを片手に大喜び、


でも10分のちには 疲れてこの通り、



レストランは やはり重いし オイリー、、、
夕飯は どこか 軽いところ、と思っても、、どこへ行ったらいいか、、
彼が(珍しくでかけるのもおっくうなのか) じゃ 寿司でも買ってきて、、


毎朝9時出勤、1時から3時までは 患者の休息時間、で あちこちで歩いていたMosshaven
ちゃんと 日本食料品店を 探しておきました。


彼を ホテルで休ませておいて、
チラシ寿司と エビとアボカドロール、お茶やフルーツも買って、
もちろん 久しぶりの和食料品買い出しも済ませて、、


ビクトリアは BC州でもっとも古い 政治の要めとなった都市、


古い樹木や 教会、など 歩いていても興味深い建物が並びます。


ホテルのテラスで(それでも)上機嫌の彼、
手術台で 発作を起こすか死ぬかも、などと不安が 頭をよぎっていた患者にとっては 
ヴィクトリアの街のかなたのサンセットも一段と美しく見えたようです。