Special visit

mosshaven2009-09-22



今回は 目医者の アポイントと重なって
ヴァンクーバーで 2,3の 用事、






朝一番のフェリーででかけて 




こんなに早い ヴァンクーバーの朝は 初めて、



教会へ行くには まだ早いから 朝食は
ダウンタウンの カフェーで ゆったりと、



日系の Anglican Church, 英国国教 教会 に属していた私たち、
この日は 創立 106年記念 で 司教様もみえる。



古参 教会員とは みんな 何十年ものおつきあい、 
懐かしさに 八グしあって(普段はあまり こんな挨拶は
好みでない私なのに こんなときの八グは 家族に出会ったような
うれしさがこみ上げる)



この日の Preaching(お説教)、たとえ 自分と意見が異なり、
信仰が異なっても お互いを、認めあい、尊重しあうことの
大切さを 認識すること、 認識は頭の中にあっても たとえ言葉に
出さなくても 私の場合など 自分の主張が きっと 顔に出ているに
ちがいない。  でも 逆に 反対にあっても 自分の意見を
守り通すことも大切、双方とも 私には 一にも二にも 努力。



礼拝後のお茶、 お茶とは とてもいえない、 想像を絶する 
ポットラックの数々。




普段は 数える程度の 人数の出席、この日も決して ぎっしりというほど
の人数ではないのに、 この量は、一体どこから?
日本の人って 本当に働き者、トップの年長者、94歳の方でさえ、
私が重くてもてないほどの 赤飯や煮物を作っていらした。
その自然体が 又 すばらしくて 頭が下がる思い。 



一種類ずついただいても お皿に入りきれない。
ひとまわり 終わったあとでも まだこんなに、、 デザートなんて
残念ながら ひとつも食べられず、

会話もつきない、あとかたづけも 大変なのに、と 後ろ髪
ひかれつつ 私たちには 次の予定が、






小姑さんを 町のバス停まで迎えに行く時間、
彼女は 私たちと合流するために ヴィクトリアから フェリー、
そしてダウンタウンまで この大型バスで、


行く先は 息子の家、
今回は 息子の家の近くの 主人の弟を見舞いに行くため、
息子の家に一泊。


弟の家族とは しばらく会えなかったが
今回は 息子、 小姑さん、と共に みんなで久しぶりに 
ビール好きの弟を パブに誘い出そうと思って 訪れたのに、


なんと その一日前に 脳溢血を起こして 彼は 眠ったまま、
話しかけても 起きる気配もない。  このまま 永い眠りに
入ってしまう可能性も多い、との看護婦さんの話し、、
一緒に来る筈だった パブで 今までの彼の来し方など 話しながら、
小一時間、そして 又 訪ねてみると、


今度は(奇跡のように)目を開いて 私たちを見る、が それが
唯一彼のできること、 起きることも話すことも出来ず、私たちの話も
理解しているのか聞こえているのかさえわからない。  


長居もできず 予定していたパブへも連れ出せなかったし、手製の
(お気に入り)ケーキも食べてもらえず、むなしく帰ることに、
それでも この2,3年会えなかったことを思えば せめて
意識のあるこの日に再会できたことはありがたかった。


等と話しながら 息子の家に着くと 娘達も ちょうど到着、
主人の 遅ればせ バースデイ、と称して 共に 夕飯。

いつになく 片付いていない、と思ったら
息子は ただいま ファミリールームの床を張替え中、


息子の手製の チリー、娘の持参した ワイン、そして 



バーベキュー チキン、 


ケーキは 孫が焼いてくれたスパイシーケーキ、
本やシャツ、チョコなど ギフトまでみんなからもらって
嬉しそう(今回は 出発寸前で 私もしてあげられなかったから)

今日は 色々なことがあった一日、 色々な感情が揺れ動いた日、
そして 最後に 又 ファミリーが集まって 気持ちがあたたまる
そんなときを持てて 良かった。  彼も 気持ちがおちついて、
ゆっくり眠れそうだし、と思っていたら



初めて泊めてもらった 息子の素敵な家の その ベッドルームは 
2階、おりしも 蒸し返すような夏の暑さ、(安普請なのに 
冷房の我家、になれている彼にとっては 何とも
ねぐるしかったらしい。)



私は? 久しぶりの 以前の我家に近くてなつかしいし、彼にとって
寝苦しい夜は 私には 最適、な 温度、で 今日あったことなど
考えているうちに いつしかまどろんで、、、